私の少年時代

私の青春時代 その6

昭和53年の秋、京都府立山城高校1年生だった私は、サッカーを断念して入った某有名予備校の進学コースをドロップアウトしました。周囲すべてが敵同士で、隙あらば蹴落としてやろうという駆け引きの火花が散る毎日に、耐え切れなくなったのです。

それからは、空しい帰宅部へ。今さらサッカー部に入るわけにもいかず、ぽっかりと心に穴が開いた挫折感に打ちひしがれていたのです。そんな私を心配して、何人かの友達が声をかけてくれました。

一緒に遊びに行ったり、食事したり。たまり場にも連れてってもらいました。そのうちの1人とは、ひと夏のアルバイトで苦楽を共にしました。バイトといってもカッコ良いものではありません。建設会社の事務所でヘルメットと新聞紙にくるまれたシャケ弁当を手渡され、シートの無いワンボックスカーに押し込まれて体育座りで車に揺られて現場に着くやいなや、汗にまみれて過酷な土木作業に従事したのです。大変でしたが、楽しかったなぁ・・・・・。

ある時は、バンドを組もうという話になって「お前は声が大きいし、ピッタリや」とボーカルを担当することに。諸般の事情で実現しませんでしたが、その時のメンバーの1人は東京に行って有名バンドのギタリストとして活躍したくらいなので、もしかしたら私も違う人生を歩んでいたかもしれません。(声が大きい以外の取柄は無いのでムリだったでしょうけど)

その時の友人たちとは、今も親しくお付き合いをさせていただいています。立派な中年ですが、いずれも社会の荒波に揉まれた“ひとかどの男たち”ばかり。楽しい語らいの中にも味わい深くて、本当にいつも勉強になります。友情って良いですねぇっ!

やがて、凝り性の私は有り余る時間を有効に使う絶好の居場所を獲得しました。図書館です。毎日、昼休みと放課後は図書館に入り浸り。かばんが破裂するくらい本を借りて深夜まで読みふけりました。日曜日は市立図書館や本屋めぐり。1つの本を探して京阪神の古本屋さんを飛び回ったことも懐かしい思い出です。宮本輝は浪人時代に中之島図書館のすべての本を読破したとのことですが、私自身は高校の図書館にある書籍の半分くらいは制覇したと自負しています。

おかげで雑学バラエティー番組は大の得意。かつてブームだった「ファイナルアンサー」のクイズ番組や「へぇ〜へぇ〜へぇ〜」のトレビア番組もパーフェクトで、子どもたちから尊敬されていました。(今は悲しいことに思春期の娘にウザがられていますが・・・・・)

特に凝ったのは、日本古典文学や古代史、近現代史ですが、哲学や心理学、東洋思想から芸能や美術などなど、何でもありでした。サッカーや相撲、ボクシングは専門雑誌を定期購読してたので、小遣いやバイト料はすべて本に消えていました。まさに活字中毒ですよね。

かと言って、鬱々と閉じこもったりはしていなかったですし、青白いガリ勉とかではありませんでした。当時の写真を見ると、頬がこけ、パーマもあてていたので、人相は良くないのですが、暴走族に入ることもなく、どちらかと言うと明るいひょうきんタイプだったと思います。

そんな私が、進路を決めなければならない時期に直面した高三の4月。家族にとんでもない出来事が降りかかりました。詳しくは次回、青春編最終回でお伝えします。いつ頃になるかわかりませんが、気長にお待ち下さいませ。

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