私の少年時代

私の少年時代 その2

私が引きこもり一歩手前になってしまった原因ですが、低学年時代に知的障がい児童への「いじめ」を目撃したときに、何もできなかった自分を責めてしまい心を閉ざしたことが引き金らしいです。

母によると、その頃に描いた絵は灰色系統が多く、遊びに来た友人に対してもすげなく断っていたとのこと。担任の熱血若手先生も、日直の任務に「吉田くんと遊ぶ」というのを追加したくらいでした。要するに問題児だったのですね。

そんな私でしたが、4年生になる直前の春休みに、生まれて初めて親から離れて旅に出ました。腕白小僧たちを引率したボランティアのお兄さんたちは、さぞ大変だったと思います。そして、そのときに出会った友人たちの、明るく元気いっぱいで思いやりあふれる溌剌とした姿に感銘し、「自分もこんな男になりたい!」と強く願ったのです。

新学期が始まったとき、私の中には勇気がありました。思い切って友達の輪に飛び込むと、みんなは驚き、笑顔で迎えてくれました。引き込み思案な私は、元気いっぱいの朗らかな少年に生まれ変わりました。職員室では「吉田の奇跡」と噂になったらしいです。

そんなある日、HRで担任の先生がご自身のニックネームを募集されました。そして、私が提案した名前がみんなの賛同を得て第1位になりました。そのとき先生は、「これを吉田君にプレゼントしよう」と言って自分のニックネームは第2位の分を採用されました。このお洒落な(?)決定によって、私はパポルと呼ばれるようになったのです。

パポル――。このヘンな名前は、覚えやすく言いやすいのか、高校卒業の日まで私のニックネームになりました。普通科と商業科に分かれている高校では、本名を知らないままパポルと呼び続けて卒業した友人もいたくらいです。立候補したとき「頼むし、本名で投票してや!」と徹底した笑い話もありました。

小学校時代の友人とは、おっさんになった今でも変わらぬ友情を続けていまして、毎年の大晦日の深夜に、北野天満宮の近くで乾杯を交わしています。(なんと20年以上欠かしていません!?)

一人ぼっちの寂しさ、勇気の大切さ、友情の素晴らしさ・・・・・。この、かけがえのない経験を財産としていくよう、1人の人間として、未来っ子のために貢献していきたいと念願しています。

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