私の少年時代

私の少年時代 その3

小学5年のクラス替えで出会った友だちとは、今に至るまで生涯の友情を育むことができました。休み時間や放課後にサッカーや野球で汗を流し、ドッヂボールでは他クラスや上級生との対抗試合に熱狂し、読書や作文も競争し合っていました。ケンカもしました。最高の財産です。

学芸会ではオリジナル劇の脚本を共同執筆・共同演出し、他クラスからうらやましがられていました。毎年の大晦日に恒例の新年会を20年以上続けてまして、いつもタイムスリップしています。

毎回話題になるのが、「なんでパポルが児童会長に当選したんやろ??」というものです。(パポルとは私のニックネームです) そう、何を隠そう私は6年生のときには児童会長だったのです。4年になるまで誰ひとり友達のいなかった私がです。みんなビックリしてました。

「演説会で一番声が大きかったからや」「いや、他の候補が標準語なのにパポルだけがコテコテの京都弁やったしや」・・・・・諸説紛々です。誰かが「わしらが選挙運動頑張ったからやないか」と叫び、私が「その因果で今も選挙の応援してくれてるんやなぁ!」と応じて、いつも爆笑になるのがご愛敬です。

個人的には、低学年が怪我をしないように、休み時間の遊びエリアを取り決めたことと、児童会の会議の形式をフリートーキングにしたことが実績なのかなぁ・・・と思っています。誰も覚えてくれていないのが哀しいのですがね。

もうひとつの思い出は、ある団体が主催した小学生弁論大会に、上京区代表で登壇したことです。その時のテーマが「ぼくらの責任感」でした。交通事故の多発や公害問題について論じ、大人たちが責任のなすりつけ合いをしている実態を批判。責任感を忘れない大人に成長していこうと呼びかけた原稿が残っています。幼い字ですが、結構えーこと言うてるやん!――とニンマリ。太田代表就任後の公明党のテーマ「未来に責任を持つ政治」に通じるものがあるなぁ・・・・と勝手に自己満足しています。同時に、初心を忘れずに精進せなあかんと戒めている次第です。

この不定期トークですが、次回からは中学生に突入します。いつ書けるかわかりませんが、期待せずに見守って下さい。

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