私のサラリーマン時代は、昭和60年(1985)4月から平成18年(2006)9月までの21年半ですが、大きく3つに分かれます。
第1期は、1990年までの5年半。大阪で1人暮らしをしていた頃で、ちょうど「バブル絶頂期」がポッカリと入ります。
第2期は、京都市の実家に戻ってから、結婚して今のマンションに越す1995年秋までの5年間。バブル崩壊の余波が中小企業に直撃した激動の日々でした。
そして、第3期は2006年9月に円満退社するまでの約11年。IT革命が叫ばれ、リストラの嵐が吹き荒れる荒波に翻弄されながら、会社のため家族のため、歯を食いしばって踏ん張っていました。
振り返ると、実に波乱万丈の日々でした・・・・。(遠い目)
今回ご紹介するのは、第1期の青年期のエピソードです。Wikipediaによると、バブル絶頂期は、「景気が良いと一般大衆に認識され始めた1988年頃から、景気が悪くなってきたと認識され始める前の1992年頃まで」とされていますが、ちょうどその時期です。
会社の経営判断が功を奏したことと、現場の営業努力が実を結んで、相乗効果となったと思います。一部の大企業だけしか使っていなかったコンピュータが、パソコンの低価格化と品質向上によって、文字通り「パーソナル」で身近な商品に成長するという機運にも恵まれ、市場は中小企業や町工場に飛躍的に拡大。業績は右肩上がりでした。
頑張った分だけ結果に結びつく――。こんな幸せはありません。綿密な作戦と大胆な行動を積み重ね、目標達成の凱歌が会社中にとどろきました。それと正比例して、ソフト性能のグレードアップが急ピッチに進み、製品の成長とともに、営業と開発スタッフも団結していったのです。
そのエポックは、1987年に大手メーカー主催の全国ソフトコンテストで、わが社の製品が特別賞を受賞しただけでなく、翌年には最も流通した製品に与えられる「年間再優秀パッケージ賞」も獲得したことでしょう。
プレゼン資料やデモンストレーションの構成、カタログやパンフレットも、全身全霊で工夫を凝らしたのは、言うまでもありません。芸大時代に培った経験を生かすことができたので、若き日々の苦労には無駄が無いと実感したものです。
会社の慰安旅行も、Wikipediaの定義通り(?)、入社3年目までは北陸や和歌山の温泉街でしたが、88年の北海道を皮切りに、翌年からは飛行機での旅がスタート。香港・シンガポール・グアム・バンコク・台湾などに、毎年行きました。
国内よりも海外の方が旅費が安いという、異常な円高の影響があったからなのですが、そんな中で、業績が最高潮であったころに行ったハワイとオーストラリアが、もっとも思い出に残っています。できたら、また行きたいなぁ〜。宝くじ当たらんかなぁ・・・・。(おいおい!)
バンコクは、乾季でなく雨季に行ったからですが、湿気が大変でした。シャワーを浴びてタオルで体を拭いても、すぐに汗ビショになってしまうのです。ムエタイ観戦も迫力抜群。辛くて酸っぱいタイ料理には、社内の誰もが辟易するなかで、私1人が全種類を食べつくして、あきれられました。
忘れられないのは、香港で知り合った青年2人が、翌年に1カ月の休暇を取って来日し、私の安アパートにホームスティしたことです。6畳1間に3人の男が雑魚寝。平日は仕事に行きながら、休日には観光ガイドに明け暮れました。ビックリでしょ?
彼らは広東語と英語しか話せません。私は中学英語が関の山。最初はコミュニケーションが大変でしたが、しばらくすると日常会話にはまったく不自由しませんでした。面白いもんです。神戸観光の際には、財布を落として大騒ぎ。テンヤワンヤの末に見つかりましたが、警察に説明したり拾い主に御礼に行った時には、立派に通訳を務めていたのですから、我ながら大したもんでっせ! ほんまに。
その1ヶ月間は、私1人だけでなく、若手社員あげての歓待でした。今から振り返っても、ほんとに仲の良い会社だったと思います。社内恋愛も多かったですがね。関係者に迷惑をかけてもアレですので暴露はできませんが、甘酸っぱい想い出がいっぱいということだけに留めさせていただきます。あしからずご了承くださいませ。(ペコリ!)
20代の私のプレースポットは、西日本最大の歓楽街にして「ナニワ金融道」の舞台である難波・鶴橋・天王寺界隈。鶴橋の焼き肉か新世界の串カツや寿司屋で腹ごしらえし、宗右衛門町のスナックでカラオケ、仕上げは当然のことながらラーメンです。(あっさりこってりネギ多い目など、いろんな種類を制覇しました)
こう見えて私、自称「難波のゲーム王」でした。レーシングやサッカー、ボクシングのゲームを始めたら、1時間以上も勝ち進むので、気がつくと周りは黒山の人だかり。高校生や大学生の臨時コーチもボランティアで務めたくらいです。
風俗営業法が施行された前日は、あたかも戦争前夜のような異様な雰囲気でした。明日から12時で帰らなければならないのかと、感傷に浸りながら明け方まで飲んでいたのを覚えています。なぜか、その後も12時以降の営業が続いて、結局はなし崩し状態になって今に至っていますが、当時は出征兵士のような気分でした。アホな話ですがね。
社会人時代第2期は、今の家内との出会いから結婚に至るまでの、とろけるような甘い恋愛時代なのですが、同時に、公私にわたって物凄い激動の奔流に飲み込まれていた時期でもあります。長くなりますので、詳しいお話は次回とさせていただきます。
期待せず、ゆったりとお待ち下さいませ。