私の青年時代

私の社会人時代 その1

昭和60年(1985)4月、私はコンピュータ専門商社・株式会社コムアソートに入社しました。まさにバブル景気の直前のころ。シビアな「なにわの商人(あきんど)」に先端のコンピュータを売り込むビジネス戦士としてスタートしたのです。

富田林駅前(なんと徒歩2分!)のアパートから近鉄南大阪線、地下鉄御堂筋線を乗り継ぎ、似合わないスーツ姿で、大阪市中央区本町というビジネス街のど真ん中に通勤する日々が始まりました。

入社当時は、ワープロを打つのさえ心もとない“ひよっ子”でした。一から社会人としてのイロハをたたき込んでいただいた先輩方に、感謝の一言です。

入社ほやほやのルーキー時代は、毎日が驚きの連続。特に周囲の先輩方のスピードにはビックリ仰天でした。歩く速度も当然ながら、昼食なんか、あっという間に平らげてしまうのです。恐るべし、なにわの商人(あきんど)。

結局、立候補準備のため平成18年(2006)9月に円満退社するまでの21年間、中小企業や町工場の役に立つためのソフトを開発・販売する仕事に従事し、厳しい荒波を乗り越えてきました。

IT産業のはしくれですから、最先端でスマートに聞こえますが、1件1件の会社に飛び込んで売り込む、地道でハードな難行苦行です。

東大阪や堺をはじめ、近畿一円の中小企業団地や下請け工場地帯をローラーし、轟音がとどろく油まみれの工場に入り込んで声をかけ、断られても名刺を破られてもあきらめずに通って、「お、こいつは根性のあるやっちゃな」と思われないと商談は始まりません。

「安いでっせ、便利でっせ」だけではなく、現状をシビアに分析したうえで、的確な業績向上の提案をしてはじめて、不景気のなか悪戦苦闘されている経営者の琴線に触れることができます。そして、各部門の方々の要望や意見を調整し、細かな操作面にまで気を配りながら、業務改善へ様々なお世話をしてきました。

コンピュータという桁違いの高額商品であり、企業の根幹部分を担当するわけですから、きめ細かさと迅速さが求められます。その中で誠心誠意、相手の立場に立って走り回る重要性を肝に銘じてきました。

また、30代に入ってからは、営業課長という役職をいただき、意欲に燃える若手社員の奮闘をサポートし、様々なプロジェクトを成功させるなど、大袈裟ですが『不可能を可能とする』結果を出してきました。

このかけがえのない経験を生かして、現場第一主義に徹し、切実な庶民の声を受け止め、誠実に着実に政策実現のため全力疾走していく決意です。

『私の青年時代』社会人編も、今までと同じく不定期の掲載となりますが、ホロ苦い青春の思い出なんかもご紹介する予定です。期待せず見守ってやって下さいね。


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