吉田たかお演説集

時局講演会 立候補宣言演説

平成18年(2006年)9月10日 西陣織会館3階ホール

8月24日に公明党より公認を受け、最初の公式行事での立候補演説。
約300名の聴衆を前に、緊張しながらの挨拶となりました。
 

【はじめに】
  このたび竹内ゆずるさんの後を受け、明年度の上京区選出京都市会議員予定候補の公認を頂きました吉田たかおと申します。

 未熟者ですが、皆様のお役に立てる人材に成長するため、徹して勉強に励み、動きに動いてまいります。そして、公明党原点の上京区の一議席を断固死守し、大勝利を勝ち取っていく決意でございます。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
 

【自己紹介】
 私は、昭和37年に上京区の仁和(にんな)学区に生まれました。上京で生まれ上京で育った、根っからの上京っ子です。上京区民の一人として、昨年までは市政協力委員、今年からは防災委員をお引き受けして、微力ながら地域に貢献させて頂いています。

 また、毎日満員電車にもまれて大阪まで通勤しながら、地域社会の発展と平和を目指して様々な活動に打ち込んでまいりました。大阪芸術大学卒業という、ユニークな経歴を見込まれてお誘いを受け、京都さくら少年少女合唱団のスタッフとして、未来を担う小学生たちと喜びを分かち合う活動にも取り組んできました。実はこの時に知り合ったのが、家内です。

 現在小学校4年生、2年生、年少園児の三人の女の子がおりまして、要するに、どこにでもいる普通のサラリーマンです。その私に、今回思いがけなくも白羽の矢が当たって、候補者としてお話を頂きました。

 正直申しまして、私には特別な能力もありませんし、輝かしい経歴もまったくありません。「本当に自分なんかで良いのだろうか?」と真剣に悩みました。しかし、多くの方々からの励ましを頂戴し、庶民の一人として、今の社会をもっともっと良くしていきたい、次の時代をより素晴らしいものにしていきたいとの純粋な思いを奮い起こし、決意を固めた次第です。

 時代変革への熱い情熱をもって活動に励んでおられる皆様の声を代弁し、我がふるさと上京の発展に貢献できる、たくましい人材となるべく、死に物狂いで動き、学び、力をつけてまいります。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 私は、仁和小学校の低学年時代、友達が一人もいない孤独な少年でした。障がいのある児童へのいわれなき「いじめ」を目の当たりにし、無力な自分を恥じて、心を閉ざしてしまったことが原因と思います。「自閉症の一歩手前かも」と心配されましたが、幸い、明るく思いやりのある友達と出会い、勇気を振り絞って輪の中に飛び込んでからは、持ち前のユーモアやリーダーシップが発揮されるようになり、自分で言うのもなんですが、クラスどころか学年を超えた人気者になって、6年生のときは児童会長にも当選しました。この貴重な経験をとおして、心を開けないことのつらさと、勇気と思いやりの大切さを学びました。

 北野中学ではサッカー部に入り、練習に明け暮れました。1年生から試合に出ていましたが、2年生の夏に2度も骨折し入院。逆境のなか歯を食いしばってリハビリに挑戦し試合に復帰できた喜びは、今も忘れることができません。

 山城高校3年生の春、我が家を試練が襲いました。父が脳動脈破裂で倒れ、生死の境をさまよう植物人間になってしまったのです。懸命な祈りと皆様の励ましのおかげで、幸い意識も戻り、1年後に退院したのですが、左半身麻痺という重度の障がいが残りました。以来、不自由な体にもかかわらず愚痴ひとつこぼさずにリハビリに励む父と、その父を献身的に介護する母の姿を間近で支えてきました。

 父は25年も寿命を延ばし、昨年、孫たちに見守られながら息を引き取りました。障がいに負けず、明るくにぎやかに宿命と戦い抜いた両親の姿は、私にとりまして最大の誇りであり、目標です。同時に、私たち家族を見守り、励まし、ご指導いただいた皆様に心より感謝申し上げます。このご恩を、一生かけて、五体を大地になげうつ思いで、お答えしていかなければならないと決意しております。

 体の不自由な家族を介護してきた立場として感じますのは、この10数年、特に公明党が連立に参加してからの介護・福祉政策は、それまでと違って、バリアフリーの普及を始め、きめ細かく進歩してきたと思います。

 高齢化時代をより希望の持てる社会にするために、庶民の心のわかる責任ある与党・公明党が、今以上に力をつけて、弱い立場にある方々を守っていかなければならないと実感しています。
 

【公明党の人間主義】
 今、自分さえ良ければよいというエゴや、カネ儲け最優先の拝金主義が時代社会を濁らせています。公務員や政治家の不祥事、青少年を巻き込む殺人、いじめや虐待という痛ましい事件が連日報道されています。三人の子どもの父として他人事ではありません。

 このような時代こそ、どこまでも一人の人間を大切にする「人間主義」がもっとも重要ではないでしょうか。あたたかな思いやりと慈しみの心を根本として、生命の尊厳と人権の尊重を第一に、私自身戦って参る決意でございます。

 「失われた10年」と言われ、バブル崩壊の後遺症による疲弊した経済の影響で、大人も子どもも希望の持てない閉塞した空気が蔓延しています。生命力を満々に溢れさせて、自らを真摯に見つめて自己の限界に挑戦している、逞しい庶民の集まりである公明党が日本をリードしていく時代に入ったと確信いたします。
 

【現場第一主義】
 今回の立候補にあたり、スタッフの方々から素敵な合言葉、キャッチフレーズをプレゼントして頂きました。「よし!だッシュ!! あなたのもとへ、上京のために」というものです。これは、誰よりも早く現場に駆けつけ、そして誰彼と分け隔てなく、上京に新しいネットワークを果敢に築いていく。そうした開かれた現場第一主義を言葉にしたものです。

 私は、21年間、コンピュータソフト会社に勤務し、中小企業や町工場の役に立つためのソフトを開発・販売する仕事に従事してきました。

 IT産業のはしくれですから、最先端でスマートに聞こえますが、1件1件の会社に飛び込んで売り込む、地道でハードな難行苦行です。東大阪や堺をはじめ、近畿一円の中小企業団地や下請け工場地帯をローラーし、轟音がとどろく油まみれの工場に入り込んで声をかけ、断られても名刺を破られてもあきらめずに通って、「お、こいつは根性のあるやっちゃな」と思われないと商談は始まりません。

 「安いでっせ、便利でっせ」だけではなく、現状をシビアに分析したうえで、的確な業績向上の提案をしてはじめて、不景気のなか悪戦苦闘されている経営者の琴線に触れることができます。そして、各部門の方々の要望や意見を調整し、細かな操作面にまで気を配りながら、業務改善へ様々なお世話をしてきました。

 コンピュータという桁違いの高額商品であり、企業の根幹部分を担当するわけですから、きめ細かさと迅速さが求められます。その中で誠心誠意、相手の立場に立って走り回る重要性を肝に銘じてまいりました。

 このかけがえのない経験を生かして、「よし!だッシュ」で現場に直行し、切実な声を直接お聞きして、京都市民の皆様の手となり足となり、具体的な政策として実現させていく決意でございます。
 

【政策紹介】
 高齢者の方々が健康で元気に長生き出来るような介護・予防施策や、体の不自由な方々へのよりきめ細やかな「福祉施策」の充実に努めるとともに、子どもたちが安心して暮らせる「街づくり」が不可欠と実感しています。

 同時に、切実な課題として「防災」への対策も、手遅れになる前に推進していかなければなりません。積極的に情報を集め、勉強していきたいと決意しています。

 また、芸術を学んだ一人として、世界が憧れる私たちの京都を、よりいっそう発展させていくため、「文化・芸術の振興」にも取り組んでまいりたいと思っています。西陣の伝統産業をはじめとして、「中小零細企業とそこに働く人びとを支援する方策」も急務です。皆様のご意見をもっとお聞きし、勉強してまいります。

 的外れなところや生意気に聞こえる部分があったかもしれません。これからもびしびしとご指摘を賜りたいと思います。皆様からのご指導ご鞭撻を血肉にして、京都市発展のお役に立てるよう、粉骨砕身、命懸けで戦ってまいります。

 なにとぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。


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