私の大好きな本の数々をつれづれに紹介します。

「日本史サイエンス」播田安弘

2022年12月17日

船舶設計のエキスパートが日本史の謎にチャレンジした書籍を紹介します。2020年と2022年に2冊刊行された魅力的なシリーズ本です。「邪馬台国の所在地はどこか」「豊臣秀吉の中国大返しはなぜ可能だったのか」そして「蒙古襲来なぜモンゴル軍は一夜にして撤退したのか」などのミステリアスな重大テーマを科学的に分析して、説得力ある謎解きが展開されています。読んでいてワクワクすること間違いなしです。

まず、2019年に公開された映画「アルキメデスの大戦」に監修として携わった著者が、「戦艦大和は無用の長物だったのか」という謎に挑む箇所は壮大なスケールで実にエキサイティング。21世紀の私たちが理解する大和は、世界最大の戦艦として期待されたにもかかわらず、時すでに航空機全盛の時代に突入し、確たる戦果を挙げることなく沖縄戦で海上特攻を敢行し沈没した悲劇の存在です。しかし、船舶・艦船の第一級の専門家として筆者は、大和の持つ無限の可能性を指摘し、「大艦巨砲主義」は時代遅れの産物ではなく、戦略と戦術を適切に練り上げて運用すれば違う結果を導いていたというのです。

たしかに、日本だけが立ち遅れていたのではなく、アメリカもイギリスも同じ時期に最高級の戦艦を建造していました。しかし、世界に誇る戦艦大和を擁する日本が、航空機の攻撃で戦艦を撃破できると証明したことで、敗れた米英軍が戦術を切り替えざるを得なかった半面、勝利した日本軍が成功体験に固執して、空母主体の機動部隊の強化が遅れてしまい、それが戦局に大きな影響を与えたのです。この「歴史の皮肉」にため息をつかざるを得ません。

また、邪馬台国の所在地を解明する箇所では「魏志倭人伝」で記された中国から邪馬台国への行路を、古代の船の構造や対馬海流を徹底的に分析することで、魅力的な論証が展開されています。この場で種明かしするのは控えますが、ワクワクすること請け合いです。秀吉の中国大返しについても、従来あまり顧みられなかった「兵站」の観点から超人的な進撃を分かりやすく解明。不眠不休を課す精神論ではなく、情報を迅速につかんで先手を打つ緻密で周到な現場仕事が明らかになります。ここでも船の存在が大きなウエイトを占めていて、実に面白いです。

その中で私は、特に「蒙古襲来」と「秀吉の朝鮮出兵」という、前近代に我が国が経験した2つの巨大な対外戦争の謎に挑んだ論証に引き込まれました。蒙古襲来は、圧倒的軍事力でユーラシア大陸を席巻した史上最強の軍事大国モンゴルが2度にわたって攻め込んできた最大の国難であり、定説では神風が吹いて空前の規模の大船団が沈没したとされています。しかし大きな謎があります。それは文永の役で火薬などの最新兵器を駆使して軍事的に鎌倉武士団を蹴散らかしていたモンゴル軍が、橋頭保を築かずに船に戻ったのはなぜなのか、という疑問です。船の構造や将兵および軍馬、兵站などを精密に分析した著者は、モンゴルの戦略ミスが大きな理由であったと結論。詳細は言及しませんが、この論証は極めて説得力がありビックリします。関心ある方はぜひお読みください。

そしてもう一つが、豊臣秀吉の朝鮮出兵です。16世紀における世界最大規模の戦争と言われる文禄慶長の役が様々な角度から論じられていますが、李舜臣率いる朝鮮水軍が日本水軍を翻弄した亀甲船について、科学的知見を駆使してきめ細かく論証されています。残されている資料を基にCGで設計図から両国の軍船を再現して海戦の実態が解明されており、臨場感でページを捲る手が止まらない知的興奮が呼び覚まされます。

ところで、天下統一を果たした秀吉が敵味方に甚大な被害を出した無謀な海外派兵を強行した「目的」は何か、大きな謎でした。年老いた秀吉が桁外れな野心に取り付かれたと言う妄執説もありますが、同じ大陸遠征という構想を織田信長も練っていたという証言もあり、説得力に欠けると思います。信頼する弟秀長や愛息鶴松の相次ぐ死に心身のバランスを崩したという説、戦国の世が終わり恩賞をあたえる土地を海外に求めたという説、強大な軍事力を持つ大名を疲弊させる陰謀という説もあります、しかしそれはあまり説得力がないのではないかと思っていました。

この本では、スペインとポルトガルの欧州列強が、世界を2分割して支配する条約を結び、中南米や東南アジアを侵略したのと同じ手段(南蛮貿易とキリスト教布教)で、当時銀の最大の産出国である黄金の国ジパングを狙った野心に気づいた秀吉が「日本が植民地になってはならない」と決断し軍事力を強化して対抗しようとしたことが大きな理由であると説明しています。目から鱗が落ちる思いでした。

この観点は、安倍龍太郎氏と佐藤優氏の共著「対決!日本史~戦国から鎖国篇」(潮新書)でも詳細に論じられており、そこでは、鉄砲の弾薬として必須な硫黄は火山国日本で産出するが、もう1つの硝薬が中国から輸入せざるを得ない事実を提起。秀吉が中国と朝鮮を支配して軍事力を増強して列強に対峙しようとしたとの論証が展開されています。関心ある方はこちらもぜひ手に取ってお読みください。おすすめです。

この2つの対外戦争は、大きな共通点がいくつかあります。いずれも2度の遠征が強行された(文永・弘安の役と文禄・慶長の役)こと、一般庶民に甚大な被害をもたらしたこと、軍事侵攻を命じた独裁者(クビライと秀吉)の死によって計画がとん挫したこと、そして何より侵略した側が撤退し軍事目的が果たされなかったことです。

もう1つの注目は、我が国の歴史では必ず、攻め込まれた際は短期決戦で撃退に成功し、逆に攻め込んだ際は長期戦に巻き込まれ泥沼となって大敗を喫するという共通点があることです。前者は蒙古襲来以外に2例あり、平安時代の「刀伊の入寇」と室町時代の「応永の外冦」は、いずれも深刻な国難でしたが短期で解決したこともあって人口に膾炙していません。

それに比べて後者は秀吉以前に2例あり、高句麗好太王碑に刻まれた戦争(碑文に391年から404年までの交戦が記録されています)と有名な白村江の戦いです。白村江の決戦は2日で決着がついていますが、実は倭国は、唐・新羅連合軍によって滅亡した百済を復興するため661年5月に1万人を派兵し、663年8月に白村江で壊滅するまで2年余で3万人以上を逐次投入しており、その多くが討ち死にや捕虜となった悲劇的敗戦なのです。

近代国家に生まれ変わった日本は、欧米列強の帝国主義競争に遅れて参入し、富国強兵を掲げて軍事大国の道をひた走って、日清・日露戦争や第1次大戦を経てアジア太平洋戦争で泥沼の長期戦を余儀なくされ、最後は無条件降伏しました。まさに「歴史は繰り返す」ですね。

歴史の厳然たる教訓、それは「日本は他国に攻め込んではならない。専守防衛こそ採るべき唯一の道である」ということではないでしょうか。

いずれにしても、今の時代に生きる私たちが歴史に学び、人生観や人間性を磨くには読書は不可欠と思います。映画やドラマを劇場やネット配信で鑑賞するだけでは、紙に染み付いたインクの匂いを味わえません。多忙な日々が続き、なかなか時間が取れませんが、この本を含め様々な関連書籍を読んで、読書は人生を豊かにすると、改めて実感しました。これからも歴史の謎にチャレンジしたいなぁと思います。