「宮崎駿の平和論」秋元大輔
1980年代、私は18歳から28歳まで大阪の学生寮やアパートで1人暮らしをしており、TVもほとんど視る時間が取れませんでした。目まぐるしい多忙な毎日で、唯一の息抜きは古典やミステリー、歴史小説やスポーツ雑誌、漫画など幅広いジャンルの読書でした。お金も時間も無いので、当然、映画館にも行けません。宮崎駿のジブリアニメに出会ったのは、結婚して子どもが出来てからだったのです。いやあ、リアルタイムで楽しみたかったなぁ・・・。
その反動からか、30を超えたおっさんになってから、時間を作ってアニメを片っ端から視ました。「ドレミちゃん」や「プリキュア」など、子どもたちの成長に合わせて進化していきましたが、中でもジブリの名作は子どもよりも熱心に繰り返し鑑賞しました。そりゃあもう、セリフを暗記するくらいでした。子どもたちも呆れていましたです。
『となりのトトロ』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などなど、今でも各作品を語らせたら朝まで終わらないくらいです。その後は、新作が公開されたら仕事帰りに映画館(レイトショーですけど)にこっそり行ったりもしました。いわゆる「隠れジブリファン」と自称しても差し支えありません。その私が偶然書店で手に取って、パラパラとページをめくるや否や、ガーンと衝撃を受け、無意識に購入したのが本書『宮崎駿の平和論』です。
著者は、1980年生まれの気鋭の平和学者で、現在は米テンプル大学ジャパンキャンパス現代アジア研究所の客員研究員と、スウェーデン安全保障開発政策研究所 (ISDP) ストックホルム日本センター客員研究員を兼ね、ジブリアニメを教材にして大学の講義を行なっている異色の存在。現在10作の著作のうち海外で8作を出版しているとのことで、日本語版2冊のうち本作は小学館新書から2014年に刊行されました。
まず『風の谷のナウシカ』では、東西冷戦時代の核の脅威が背景にあると考察。「巨神兵」=核兵器、「火の7日間」=核戦争、「軍事国家トルメキア」=核保有国、「腐海」=核の冬、と分析しており、ナウシカが王蟲の幼虫を救うために身を投げて酸の海に浸かった場面で衣服がピンクからブルーに変色することで博愛主義と自己犠牲をシンボライズし、瀕死のナウシカが王蟲の金色の触手で蘇生するコントラストを描いていると論じています。自然環境と人間を結ぶエコロジーの思想は慈悲による暴力の克服につながるとの指摘は極めて重いと実感します。
また『天空の城ラピュタ』では、強大な威力を轟かせる「ラピュタの雷」を核の恐怖で人類をひれ伏させる軍事侵攻の象徴と位置づけ、純粋な少年少女が武器を突きつけられた究極の危機で、手と手を組んで「バルス!」と叫ぶと凄まじい閃光が野望と復讐に身を焦がした軍事力の体現者ムスカの眼を直撃するクライマックスを、「目には目をの暴力の連鎖は全世界を盲目にする」とのガンジーの言葉で解説しています。ちなみに、有名な「バルス」はトルコ語で「平和」という意味らしいです。
そして『紅の豚』では、空軍のエースパイロットだった主人公が豚になった理由を考察します。それは「利己主義」「軍国主義」「無政府主義」を嫌悪し、憎悪と恐怖の連鎖が覆いつくす時代の束縛から解放されるためと分析するのです。「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」というポルコの名言は、豚として飛び続けるが決して「殺さない」ことに拘ってアドリア海の平和を守る文字通りの「ソフトパワー」を表現していると説いています。
作者のもう1冊の日本語書籍は、『地球平和の政治学』(2014:レグルス文庫)という平和学の学術書です。(写真右) これは西シドニー大学の博士論文をスイスの「東アジアの世界」シリーズとして刊行されたものの母国翻訳版と言う、かつて例をみないグローバルな研究成果であり、混迷を深める世界情勢の中で日本がいかにして平和に貢献出来うるかを追求した内容です。これも「おすすめ」です。ご関心ある方はぜひお読みください!