私の大好きな本の数々をつれづれに紹介します。

「道州制」 佐々木信夫

2011年6月13日

いま私がのめり込んでいるテーマは、ズバリ「地方分権」です。ここ2年で40冊以上の書籍を購入したり、市会図書館で借りたりして、貪欲に学んでいます。

大阪都構想を推進する側(上山信一「大阪維新・橋下改革が日本を変える」)と、批判する側(吉富有治「橋下徹・改革者か壊し屋か」)を読み比べ、激しい論争に知的興奮を覚えたりもしましたが、40冊のほとんどは、竹下譲「地方議会、その現実と改革の方向」や廣瀬克哉「議員力のススメ」など、地方議員への啓発をメインとする書籍。

悪戦苦闘の連続ですが、どの論説にも「地方議員よ、立ち上がれ! 今こそ出番だ!」との熱い叫びが込められていて、フライパンで殴られるくらいの触発を受けています。

なかでも、今年早々に購入した「道州制」(佐々木信夫著:ちくま新書2010)は、私の心の中に燃えたぎる表現しがたい情熱を、明確かつ冷静に表現しており、何度も読み返しています。そして、そのたびに目を見開き、膝を叩きながら、心の底から頷いているのです。

本書で論じられる「地域主権型道州制」は、賛否両論分かれる重要なテーマであり、多くの人たちが喧々諤々の議論が展開されています。私自身も、佐々木氏の論説をただ盲信するのではなく、じっくりと思索する糸口にしていこうとの姿勢を心がけています。

ただ、火を吐くように語られる烈々たる「問題意識」には脱帽せざるをえません。心から敬服し、共感しています。日本の将来ビジョンに思いをはせる読者の皆さんにとって、大きな示唆となる書籍であると、確信を持って“おすすめ”します。

まず、表紙の扉に書かれた文章を紹介します。

――中央集権国家としての日本はすで破綻に瀕している。疲弊した制度は、もはや小手先の改革ではどうにもならない。いまこそ、新しい地方分権の在り方を構想することが必要である。「道州制」を考えることは、この国のかたちを考えることなのだ。

次に、「第1章 地域主権国家とは」より。

――半世紀以上、国の各省大臣の地方機関として位置づけられた知事、市町村長のもとで、自治体自身、あたかも国の下請け機関のように業務の七、八割を国の委任事務の執行に費やしてきた。(略)しかし、2000年改革でこの制度は全廃された。地方議会は自治体全ての業務に審議権、条例制定権を持ち、全てが予算審議の対象となった。(略)議会がその気になるなら、政策提案を通じて首長ら執行機関をリードすることも可能である。まさに、地方議会は政治の「主役」に躍り出たのだ。

――だが問題は、そうした権限、立ち位置の変化に多くの地方議員が気づいていないことだ。旧態依然として議会は「チェック機関」だと言っている。これでは何のための分権改革かわからない。目覚ましを求めたい。地方議会が変われば、日本の政治は大きく変わる。

ねっ、凄い迫力でしょ? もう1つ、「第2章 なぜ道州制なのか」より。

――道州制は国と市町村の中間に位置する道州政府を基点に、(略)政府機能の再構築を目指す大振りの改革構想である。そのことで、地域主権国家を形成し、個性的な政策活動の実現や、広域圏の経済産業活動の活性化により、日本全体にダイナミズムを生み出そうという、“新たな国づくり”構想なのである。

まさに、明治維新の「廃藩置県」に匹敵する大改革が、「廃県置州」=道州制と言えるのです。歴史の大転換期を画する壮大なビジョンである、私はそう思っています。

補強するべく、北海道大学教授の腰澤明氏が中央公論6月号に寄稿した「復興は時間との勝負である」の一説を抜粋します。

――早期復興は、地域経済再生と雇用確保の鍵である。市街地の嵩上げが必要か、道路の拡幅や避難路の新設が必要か、山麓沿いの宅地造成が本当に可能かどうかなどの事情は、地元市町村の首長、役場職員、地元議会がわかっているはずで、(略)中央官庁や復興構想会議が直接、具体の絵姿を描いたり、口出ししたりすることではない。

震災復興という、現時点の最大の政策課題に置いても、旧態依然とした中央集権では弊害を生むだけであり、市民生活に身近な地方分権が不可欠であるとの議論です。反論の余地は全くないのではないでしょうか。

動乱期と言われ、歴史的転換の扉をあける今この時に、地方議員として活動しているということは、自分が思っている以上に大きな使命を担っているのだと、改めて実感しています。ボヤボヤしている暇はありません。全力疾走でダッシュするのみ。

頑張ります!