「二大政党制批判論」 吉田徹
日本に「二大政党制」は根付くのか? 日本の将来にとって「二大政党制」で良いのか? ――本書は、このテーマに真っ正面から取り組み、古今東西の政治学の精髄を分析し、私たちに刺激的な問題提起をしてくれています。
前提として、本書を手に取った時の私自身の二大政党制への認識を、下記に簡単に説明します。
東西冷戦の終わりと軌を一にして、55年体制が終焉を迎えたころから、インテリ層を中心に「二大政党制」への待望論が巻き起こり、世論を席巻しました。
「日本も米国や英国のように、健全な二大政党が政権交代を繰り返さないとダメだ」という議論が幅を利かせていたのです。
1度は新進党が結党され、大きな期待を呼んだのですが、あっけなく解党してしまいました。 その後、日本新党やさきがけの生き残りが立ち上げた旧・民主党と新進党崩壊の張本人・小沢一郎氏率いる自由党が合併し、ようやく二大政党が根付くかもしれないという機運が再燃。
一部マスコミも、その熱気を煽りたて、「自民党ではダメだ。政権交代しか日本は変わらない」と信じ込む人が圧倒的多数を占めるに至り、昨年の政権交代がなされたのです。
しかし、ご存じのように、「民主党に代われば何もかもうまくいく」という期待は、まったくの幻想であったことが、あきらかになっています。
この正念場で、自民党が気を吐くべき時なのでしょうが、それがどうも、ぱっとせず、ゴタゴタしている始末。
私は、昨年の衆院選の前に、いろんな場で「負けた方が分裂するのでは」という予測を話していました。新進党が敗北後にバラバラになった醜態を忘れられないからです。
案の定と言ったら、言いすぎかもしれません。渡辺喜美氏が自民党を離党して旗揚げした「みんなの党」の支持率が上がっているなか、与謝野馨氏や平沼赳夫氏に続き、桝添要一氏も新党を立ち上げるなど、まさに乱立状態。党名を覚えるのに一苦労ですよね。
二大政党が、政策で議論し合い、交互に政権を交代するような、“成熟”した民主主義は、いつまでたっても来ないのではないかと、ため息が出るではありませんか。
そんな中、以前に書店で発見し購入していたユニークな新書を、一気に読破しました。それがこの『二大政党制批判論』(光文社新書)。著者は『ミッテラン社会党の転換』(法政大学出版局)、『政権交代と民主主義』(東京大学出版会)等で注目を集める気鋭の新進論客・吉田徹氏です。
以下に、興味深い記述を抜粋して紹介します。
「二大政党制は政治にとっての「万能薬」とは決してならないし、むしろ他の先進国と比較した場合、かなり異質の政党政治の在り方である。政治改革の議論の中では、「政権交代」や「マニフェスト」といった、口当たりは良くとも、かなり粗雑な議論が横行してしまった。その結果、二大政党制の「功」だけが一人歩きすることとなり、その「罪」は無視されることになった」
「二大政党制は、その片方を政権や権力の分け前から排除して敗者を作り出すシステムだ。だから、敗者に回った有権者は当然不満を蓄積させていく。その結果として、政権交代が起こった場合、それまで権力の座にあった政党の既得権益の基盤を破壊しようと、急進的な政治が行われることになる」
「新たに政権に就いた政党は、自らを支持した有権者の期待にこたえようとし、前政権との違いを出すためにも、急進的で対立的な政策を打ち出す誘惑に駆られる。(略) しかし、それは明らかに国民を分断して求心力を高めようとする戦略であり、政策的なブレを大きくするため、政権交代がむしろ社会に大きな負荷をかけるという逆説を生むのである」
――上記以外にも、引用したい個所は一杯あり、ここに書ききれません。関心ある方には、ぜひ一読をお勧めします。
ビックリしたのは、アメリカのような二大政党制は、世界で2,3カ国にすぎず、多くの国が「多極共存型デモクラシー」であるという事実でした。
その特徴は「多党制」「比例代表制」「連立政権」であり、二院制と連邦制が共存しているというのです。地域主権を志向し「道州制」を視野に入れる我が国の方向性にとって、示唆に富む指摘ではないでしょうか。
以上、紹介をさせていただきました。私自身の意見は、ゆるやかな多党制のもとで政策協議を結んだ連立政権という形態が、日本にとってふさわしいのではないか、というものです。
現に、本家本元の英国でも、保守・労働の二大政党に第三極が割り込んで、大きな変化が起きています。
日本に合ったデモクラシーを志向するべきではないかと問題提起し、この長い文章を終わらせていただきます。最後までお付き合い下さった方、ありがとうございます!