「軍旗はためく下に」 結城昌治
ここ数ケ月、「昭和史」「昭和史の逆説」「昭和史を点検する」などの書籍を読みました。もちろん息抜きのためではなく、政治に携わる1人として、戦乱と激動の昭和史を研究するためです。
大正デモクラシーの花が咲いたにもかかわらず、なぜ戦争を回避できなかったのか。なぜ、二大政党が政権交代を展開していたのにもかかわらず、軍部独裁を許しファシズムに屈服してしまったのか――。
100年に一度の経済危機が叫ばれている今、1930年代の世界恐慌を契機として軍国主義の坂道を転げ落ちてしまった、あの悲劇を繰り返してはなりません。その意味で、現代の視点から昭和時代を見つめ、歴史が大きく動いた局面を深く分析する試みは意義あるものと考えます。
思考をより深めるため、バブルが崩壊し価値観が混乱した15年ほど前に、取りつかれたように買いあさった戦争関連の読み物――秦郁彦「昭和史の軍人たち」「昭和史の謎を追う」や、半藤一利「列伝太平洋戦争」「指揮官と参謀」「聖断」といった当時の軍人たちに光を当てたものを、再び手にしました。
角田房子「一死、大罪を謝す」(阿南惟幾)、「責任」(今村均)、「いっさい夢にござ候」(本間雅春)という著名な将軍を主人公にしたノンフィクションシリーズや、城山三郎「落日燃ゆ」(広田弘毅)、「男子の本壊」(浜口雄幸)などの文学作品に加え、児島襄「史説山下奉文」「将軍突撃せり―硫黄島戦記」「誤算の論理」などの戦史は、今も本棚に並んでいます。
今思うと、当時の国家を率いた最優秀の頭脳を誇った超エリートである将軍や参謀たちが、責任の重さに呻吟し、苦悩しながらも決断を下した泥臭い人間ドラマには、ページを繰るのももどかしいほど、知的興奮に圧倒されていました。
『東条英機以外の誰かが首相だったら・・・』『ミッドウェイの指揮官が山口多聞だったら・・・』『日独伊三国同盟を締結していなかったら・・・』『大和がUターンせずレイテ湾に突入していたら・・・』などなど、歴史では禁じ手の“If”に思いを馳せていたものです。
しかし、このような著名人が主人公である作品には、政局や戦局の中で推移する戦死数や消失家屋数などのデータは示されても、南方戦線や中国大陸で虫けらのように死んでいった兵士たちの「顔」は見えてきません。
はがき1枚で召集され、家族と引き裂かれ、理不尽な訓練や制裁に人間性を奪われ、極限の戦場に送りこまれて、傷つき死んでいった兵士たち。家を焼かれ、略奪され、犯され、殺されていった現地の住民たち。無差別空爆で命を落とした内外の老若男女の庶民たち――。活字の中の彼らは、まるで消耗品のように扱われているではありませんか。
だから、私はこのページで紹介する本は、無名の兵士が主人公の作品にしたい、そうあらねばならないと決意し、本棚の奥に埋もれていた2冊の文庫本を必死で探しました。そして、ようやく再読することができたのが、結城昌治「軍旗はためく下に」と、伊藤桂一「遥かな戦場」だったのです。
この2作は、戦後に国会議員になったエリ-ト幕僚やゼロ戦の撃墜王たちが活躍する波瀾万丈の戦記ものではありません。功名心や官僚主義がうごめく組織悪に翻弄され、愚かな精神主義を強制され、現地の事情を無視した劣悪な命令に従って、弾薬不足と飢餓と病気と闘い、地獄の戦場で命を散らした慟哭の記です。
両書のあとがきで、伊藤は「死者への鎮魂のために書いている」と述べ、結城は「戦争の体験者よりもむしろ現代に青年たちに読んで欲しいと願っている」と書いています。戦争を知らない世代の私ですが、平和への熱烈な思いに触れ、こみあげる熱いものを禁じ得ません。
なぜ、腐敗した二大政党が軍国主義に蹂躙されてしまったのか。平和確立の美名のもとで繰り広げられる国益の衝突に対して、当時のインテリたちが無力であったのはなぜなのか――。庶民の上に君臨する為政者たちに、「生命の尊厳」「人権の尊重」が欠如していたからではないでしょうか。
21世紀は、偏狭な国家主義をこえた人類益を優先する時代でなければなりません。人間生命への賛歌が主旋律となるべきであり、そのために命を賭して闘いたい。これこそ、私が20歳から今日まで一貫して公明党を支援してきた信条なのです。
長いうえに暑苦しい文章で、大変に恐縮ですが、最後までお読み下さり、ありがとうございました。
≪追記≫
結城昌治は、この作品で直木賞を受賞しましたが、ハードボイルドの草分けとして有名で、『ゴメスの名はゴメス』などは今も色あせていません。また『志ん生一代』という傑作もものにした多彩な作家ですが、惜しくも1996年に68歳という若さで亡くなりました。